ペスト
「黒死病」として知られるペスト。歴史上の病気で、自分には関係ないと感じていませんか。しかし、ペストは今なお世界の一部の地域で発生している感染症です。日本では最も危険度が高い「一類感染症」に指定されており、適切な治療がなければ致死率も高いとされています。
この記事では、ペストとはどのような感染症なのか、その原因や種類ごとの症状、診断・治療法について詳しく解説します。歴史上で推定5,000万人の命を奪ったとされる病気の正体に迫ることで、現代におけるリスクがわかります。
読み終える頃には、ペストに関する正確な知識が身につき、海外渡航などの際に注意すべき点が明確になります。漠然とした不安を解消し、適切な予防行動を取るための第一歩となるはずです。
ペストの概要
ペストは、ペスト菌(Yersinia pestis)という細菌が引き起こす、きわめて重篤な感染症です。
歴史上では「黒死病」の名で知られ、14世紀には世界中で推定5,000万人もの命を奪ったとされています。この致死率の高さから、日本の感染症法ではエボラ出血熱などと並び、最も危険度が高い「一類感染症」に指定されています。
適切な治療を受けなければ致死率は30〜60%にも達しますが、幸いなことに日本では1927年以降、新たな発生報告はありません。しかし、アフリカ、アジア、南北アメリカの一部の地域では今なお存在しており、海外渡航の際には注意が必要です。
ペストの初期症状として特徴的なのが、突然の高熱です。
発熱は多くの病気で見られますが、特に重篤な感染症においては体の異常を知らせる重要なサインと考えられています。
実際に、集中治療室(ICU)で治療を受ける重症患者さんの発熱をどう評価すべきかというガイドラインでは、感染症の早期発見のために厳密な評価が求められています。正確な体温を知るため、肺動脈や膀胱など体の中心部の温度を測ることが推奨されるほど、発熱は重要な情報源となるのです。※
ペストの種類
ペストは、ペスト菌が体内に侵入した経路や症状の現れ方によって、大きく3つのタイプに分類されます。
1. 腺(せん)ペスト
2. 敗血症(はいけつしょう)型ペスト
3. 肺ペスト
これらは全く別の病気というわけではなく、最も一般的な「腺ペスト」から「敗血症型ペスト」や「肺ペスト」へと病状が進行することがあります。
どのタイプであっても、初期にはインフルエンザに似た突然の高熱や頭痛、体中の痛みといった症状が現れるのが特徴です。
それぞれの特徴を、下表に整理します。
種類 | 主な原因 | 特徴
腺ペスト | ・ペスト菌を持つノミに刺される | ・最も多く見られるタイプ ・刺された場所に近いリンパ節(首、わきの下、足の付け根など)が腫れあがり、激しく痛む。この腫れは「横痃(おうげん)」と呼ばれる
敗血症型ペスト | ・腺ペストからの進行 ・血液中への菌の直接侵入 | ・血液中でペスト菌が増殖し、全身に菌が広まった状態 ・急激なショック症状や、手足の皮膚が黒く壊死(えし)することがあり、「黒死病」という呼び名の由来になったと考えられている
肺ペスト | ・腺ペストや敗血症型ペストの進行 ・肺ペスト患者からの飛沫感染 | ・ヒトからヒトへうつる唯一のタイプで、最も危険 ・激しい咳、呼吸困難、血の混じった痰(たん)など、重い肺炎症状が現れる ・治療が遅れると、急速に命に関わる状態になる可能性がある
ペストの原因
ペストは、ペスト菌(Yersinia pestis)という細菌に感染することで発症します。
この菌は本来、ネズミやリス、プレーリードッグといったげっ歯類を主な宿主としており、これらの動物の間で感染が維持されています。ヒトへの感染は、主に以下の3つの経路で起こります。
・ペスト菌を持つノミに刺される
最も一般的な感染経路です。菌を保有するげっ歯類の血を吸ったノミがヒトを刺すことで、唾液とともに菌が体内に注入されます。
・感染した動物に直接触れる
菌に感染した動物の血液や体液、組織に、皮膚の傷口などが直接触れることで感染します。
・ヒトからヒトへの飛沫感染
肺ペストの患者さんの咳やくしゃみに含まれる菌を吸い込むことで、直接ヒトからヒトへ感染が広がります。
ペスト菌への感染が直接の原因であることは間違いありませんが、感染症が実際に発症するかどうかには、体内に菌が侵入する「機会」も大きく関わっています。
例えば、ペストとは直接関係ありませんが、外科手術の分野では、口の中の衛生状態が悪いと、食事や歯磨きといった日常のささいな刺激でも血液中に細菌が侵入する「菌血症」という状態が起こりやすくなることが指摘されています。※
このように、体のバリア機能が損なわれている場所は、細菌にとって格好の侵入口となります。ペスト菌も同様に、ノミに刺された傷口や、感染動物に触れた際の皮膚の小さな傷などから体内に侵入し、感染を引き起こすと考えられています。
ペストの症状
ペストの症状は、菌が体内に侵入した経路によって異なりますが、多くは突然の発熱から始まります。
ペスト菌に感染後、通常1〜7日(肺ペストでは最短12時間)の潜伏期間を経て、悪寒とともに38℃以上の高熱、激しい頭痛、体中の痛み、嘔吐といった、インフルエンザに似た症状が突然現れます。
この発熱は、体が菌という強敵と戦い始めたことを知らせる極めて重要なサインです。そのため、特に重篤な感染症が疑われる場合、医療現場では体温をいかに正確に捉えるかが重視されます。集中治療室(ICU)のガイドラインでは、肺動脈や膀胱といった体の中心部の温度を直接測ることが推奨されており、家庭で一般的な脇の下での測定は、深部体温を正確に反映しないため、信頼性が低い方法と考えられています。※
こうした初期症状に続いて、ペストのタイプごとに以下のような特徴的な症状がみられます。
・腺(せん)ペスト
最も一般的なタイプです。ペスト菌を持つノミに咬まれた場所に近いリンパ節(首、わきの下、足の付け根など)が、激しい痛みを伴って硬く腫れあがります。この「横痃(おうげん)」と呼ばれる腫れは、進行すると皮膚が破れ、膿(うみ)が流れ出ることがあります。
・敗血症(はいけつしょう)型ペスト
腺ペストが進行した場合や、菌が直接血液中に侵入した場合に発症します。血液に乗って菌が全身に広がるため、血圧が急激に低下するショック状態や意識障害をきたします。また、皮下で出血が起こり紫色のあざ(紫斑)ができたり、手足の指先が血流不足で黒く壊死(えし)したりすることから、「黒死病」の名の由来になったと考えられています。
・肺ペスト
最も危険なタイプで、唯一ヒトからヒトへとうつる可能性があります。激しい咳や呼吸困難、胸の痛みに加え、泡を含んだ鮮血色の痰(たん)が出るのが特徴です。治療が極めて難しく、対応が遅れると発症から24時間以内に命を落とすこともある、きわめて危険な状態に陥ります。
ペストの検査・診断
ペストの診断を確定するには、患者さんの体から採取した検体(血液や腫れたリンパ節の膿など)を使い、検査室でペスト菌そのものを見つけ出す必要があります。
しかし、その前段階として、医師による丁寧な問診と診察が診断の出発点となります。ペストは現在の日本には存在しない感染症のため、「海外の流行地域への渡航歴」や「げっ歯類などの動物との接触歴」がないかどうかが、診断の非常に重要な手がかりになるからです。
あわせて、突然の高熱や悪寒、リンパ節の著しい腫れといった、ペストに特徴的な症状がないかを確認します。
感染症の重要なサインである発熱を正確に評価することも欠かせません。重篤な感染症が疑われる場合、医療現場では体の中心部の温度(中心体温)を測ることが推奨されますが、一般的には脇の下よりも正確な口腔内や直腸での測定が望ましいとされています。※
これらの診察でペストが強く疑われた場合、診断を確定するために、状況に応じて次のような検査を組み合わせて進めます。
・細菌培養検査(分離・同定)
腫れあがったリンパ節の膿(うみ)や血液、痰(たん)などを採取し、ペスト菌を直接育てることで特定する、最も確実な診断方法です。
・遺伝子検査(PCR法)
検体に含まれるペスト菌特有の遺伝子を増幅して検出します。細菌培養検査よりも迅速に結果がわかるのが特徴です。
・抗体検査
血液中に、ペスト菌と戦うために体が作り出した「抗体」があるかどうかを調べ、感染の証拠を探します。
このほか、リンパ節の腫れの様子や肺炎の広がりを評価するために、超音波(エコー)検査などの画像検査が診断の助けになることもあります。※
ペストの診断は、こうした問診、診察、そして各種検査の結果を総合的に判断して下されます。
ペストの治療
ペストの治療は、一刻も早い抗菌薬の投与が命を救う鍵となります。適切な治療を受けなければ致死率が30〜60%にも達する恐ろしい感染症ですが、発症後、速やかに治療を始めれば、救命の可能性は大きく高まります。
治療の主役は、ペスト菌に有効な抗菌薬です。
以下の薬が、患者さんの状態を見ながら通常10〜14日間、点滴または内服で投与されます。
・アミノグリコシド系(ストレプトマイシンなど)
・テトラサイクリン系(ドキシサイクリンなど)
・フルオロキノロン系(シプロフロキサシンなど)
抗菌薬で菌そのものを叩くと同時に、高熱や脱水、呼吸困難、血圧低下といった危険な症状を和らげる「支持療法」も欠かせません。点滴による水分補給や酸素投与、血圧を維持する薬などを用いて、体が菌と戦うための体力を支えるのです。
「もしもの時、本当にすぐ治療してもらえるのか」と不安に思うかもしれません。実際、依存症のような他の病気では、医師の知識不足や制度的なサポートの欠如が、治療への介入をためらわせる一因になっているという報告もあります※。
しかし、ペストに関してはその心配は不要です。
ペストは感染症法で最も危険度が高い「一類感染症」に指定されており、診断が疑われた時点から、国が定めた厳格な体制のもとで治療が進められます。これは、医師個人の判断だけでなく、国全体で迅速に対応する仕組みが整っていることを意味します。
中でも、ヒトからヒトへうつる可能性がある肺ペストの場合は、院内での感染拡大を防ぐため、極めて厳重な対策が取られます。
患者さんは空気感染を防ぐ特殊な個室に隔離され、治療にあたる医療スタッフも特別な防護具を着用します。抗菌薬の投与を開始してから少なくとも48時間は、こうした二次感染を防ぐための対策が続けられることになっています。





