交通事故や高所からの転落事故。私たちの日常に潜む危険は、時に体の複数箇所へ同時に命を脅かすほどの重傷をもたらします。これが「多発外傷」と呼ばれる、極めて危険な状態です。一刻を争う救命の現場では、どのけがから治療するかの判断が、文字通り生死を分けます。
しかし、驚くべきことに、この「多発外傷」という言葉の厳密な定義は、医療の専門家の間でさえ一つに定まっていません。ある研究では、50本の医学論文の中に21種類もの異なる定義が存在したと報告されているほどです。
この記事では、そんな複雑で謎の多い多発外傷の正体に迫ります。原因や症状、そして命を救うために最前線でどのような検査や治療が行われているのかを、分かりやすく解説していきます。
多発外傷の概要
多発外傷とは、交通事故や高い場所からの転落事故などで、体に非常に強い力がかかったときに起こる状態です。体の複数の場所に、同時に命に関わるほどの重いけがを負ってしまうことを指します。
私たちの体は、けがの状態を把握するために、大きく6つのエリアに分けて考えられます。
- 頭・首 脳や重要な神経、血管が集中しています。
- 顔 目や鼻、口など、大切な感覚器があります。
- 胸 心臓や肺といった、生命維持に不可欠な臓器を守っています。
- お腹 肝臓や胃腸など、消化や代謝を担う臓器があります。
- 手足・骨盤 体を支え、動かすための重要な骨や関節です。
- 体の表面 全身を覆う皮膚や筋肉を指します。
多発外傷は、これらのエリアのうち2つ以上で、放置すれば命を落とす危険のある重い損傷がある状態です。それぞれのけがが互いに悪影響を及ぼし合い、あっという間に状態が悪化する可能性があるため、極めて危険な状態といえます。
実は、医療の専門家の間でも「多発外傷」の厳密な定義は、一つに定まっていません。ある医学研究の報告では、過去の研究論文50本を分析したところ、「多発外傷」の定義が21種類も存在したことがわかっています。このように定義が異なると、治療法の効果を正確に比べることが難しくなるという課題があります。
しかし、どのような定義であっても、実際の治療現場で最も優先されるのは「命を救うこと」です。そのため、救急科や脳神経外科、整形外科など、さまざまな専門の医師がチームを組みます。そして、全身の状態を総合的に見て、どのけがから対処すべきか、治療の優先順位を瞬時に判断することが何よりも重要になるのです。
多発外傷の種類
「多発外傷」とひとことで言っても、けがの組み合わせは様々です。どの部分をどれくらいひどくけがしたかによって、状態は全く異なります。
けがの種類を考えるとき、人の体は以下の部分に分けて考えられます。
- 頭や首
- 顔
- 胸
- お腹
- 手足や骨盤
- 皮膚などの体の表面
例えば、交通事故で頭と胸に大きなけがをした場合や、高い所から落ちてお腹と骨盤に重いけがをした場合などが、多発外傷にあたります。
医療の現場では、けがの重さを点数で評価する方法があります。「AIS(Abbreviated Injury Scale)」と呼ばれ、けがの重さを1(軽い)から6(最も重い)の点数で表します。
一般的には、このAISの点数が3以上になる重いけがを、体の2つ以上の部分に負った状態を「多発外傷」と判断することが多いです。
しかし、実は「多発外傷」という言葉の厳密なルールは、お医者さんや研究者の間でも一つに決まっていません。ある海外の研究では、50本の医学論文を調べたところ、「多発外傷」の定義が21種類も見つかったと報告されています。
使う言葉も「重症外傷」など、少し違うこともあります。定義がバラバラだと、どの治療が本当に効果的なのかを正確に比べることが難しくなるという課題があります。
表現が少し違うことはあるかもしれませんが、いずれも「体に複数の重いけががある、命にかかわる危険な状態」を指していることに変わりはありません。
多発外傷の原因
多発外傷は、私たちの体に一度にとても大きな力が加わることで起こります。日常生活に潜む事故や、予期せぬ災害などが原因となることがほとんどです。
具体的には、以下のような状況が多発外傷の主な原因として挙げられます。
- 交通事故 自動車やバイクの事故、歩行中に車にはねられる事故などです。 特に交通事故は、命に関わる重い頭のけが(外傷性脳損傷)の 危険性を高める要因であることが、研究でも指摘されています。
- 高い場所からの転落 工事現場やビルのような場所から落ちる事故が代表的です。 しかし、家庭内の階段や脚立からの転落も原因となり得ます。
- 仕事中の事故(労働災害) 工場で機械に巻き込まれたり、建設現場で物が落ちてきたりする など、仕事中に起こる事故を指します。
- その他の原因 地震や台風などの自然災害や、スポーツ中の激しい接触、 暴力行為なども原因となることがあります。
このように、多発外傷は様々な原因で起こります。そして、体の複数箇所に重いけががある「多発外傷」の状態では、治療がより複雑になることがわかっています。
例えば、あるけがの手術が、別のけがの影響で難しくなる場合があるのです。そのため、どのけがから治療するかを慎重に判断することがとても重要になります。
多発外傷の症状
多発外傷は、体のあちこちに同時に重いけがを負う状態です。そのため、症状はけがをした場所や重さによって全く異なります。多くの場合、命に関わる危険なサインがすぐに現れます。
まず、体全体に現れる非常に危険なサインを知っておきましょう。これらは、生命を維持する機能に異常が起きていることを示しています。
<生命の危機を示すサイン>
- 意識がおかしい 呼びかけへの反応が鈍い、だんだん意識が遠のくなど。
- 呼吸がおかしい 呼吸が速すぎる、息をするのが苦しそうなど。
- 血圧が下がる 顔色が悪くなり、冷や汗をかくなど。大量の出血で血液が 足りなくなる「出血性ショック」という危険な状態です。
これらのサインは、一刻も早い治療が必要であることを意味します。
また、けがをした場所ごとに、次のような特徴的な症状が現れます。
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けがをした場所
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主な症状の例
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頭や首
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強い頭痛や吐き気、意識がなくなる、手足のしびれや麻痺など。
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胸
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激しい痛みや呼吸困難。心臓や肺が傷つくと、胸が圧迫される感じや、息を吸うときに胸の一部がへこむ奇妙な動きが見られることもあります。
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お腹
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お腹の激しい痛みや張り。肝臓などが傷つくと、お腹の中で大出血を起こし、外からは見えなくてもショック状態になることがあります。
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手足・骨盤
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骨折による激しい痛み、腫れ、形の変化。特に骨盤の骨折は、命に関わるほど大量に出血することがあり、非常に危険です。
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顔や皮膚
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顔の骨折による痛みや変形、目の見えにくさ、広範囲のすり傷ややけどなどがあります。
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特に、高齢の方が頭に重いけがを伴う多発外傷を負った場合、命に関わる危険性がより高くなることが研究でわかっています。ある大規模な研究では、60歳以上の高齢者が頭に重いけがを負った場合の院内死亡率は16%にのぼると報告されています。
このように、多発外傷の症状は複雑に絡み合います。一つ一つのけがが互いに悪い影響を与え、あっという間に状態が悪化することがあるため、迅速な対応が何よりも重要なのです。
多発外傷の検査・診断
多発外傷の現場では、詳しい検査よりも命を救う処置が最優先です。 「時間との戦い」の中で、どのけがが最も危険かを見極めます。 そのため、病院に着いてすぐに詳しい検査を行うのではなく、 まず体の状態を安定させる治療が始まることが少なくありません。
医師は、主に以下の流れで素早く状態を把握し、検査を進めます。
- 1. 命のサインの確認(初期評価) まず、呼吸や血圧、意識の状態などを確認します。 これらは「バイタルサイン」と呼ばれ、命の危険度を 知るための最も大切な情報になります。
- 2. 超音波(エコー)検査 次にお腹や胸に超音波をあて、体の中での 大きな出血がないかを素早く調べます。 この検査はベッドサイドですぐに行えるという利点があります。
- 3. 全身CT検査 呼吸や血圧が安定してきたら、全身のCT検査に進みます。 CT検査では体の内部を輪切りにしたような画像が見られ、 骨折や臓器の傷の場所、程度を正確に把握できます。
これらの検査結果をもとに、けがの重さを客観的に評価します。 その際に「AIS」という点数が使われることがあります。 これは、体の部分ごとのけがの重さを点数で表したものです。 一般的に、AISが3点以上の重いけがが2か所以上ある場合、 「多発外傷」と診断されます。
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検査・評価のステップ
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目的
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初期評価
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命に直接関わる危険がないかを素早く判断します。
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超音波検査
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体の中の見えない大出血をすぐに見つけます。
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CT検査
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全身のけがを詳細に調べ、治療計画を立てます。
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重症度評価(AIS)
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けがの重さを点数で客観的に評価します。
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すべての検査と評価を通して、どのけがから治療すべきか、 治療の優先順位を決定します。 例えば、腕の骨折よりも、お腹の中での出血の方が命に関わるため、 出血を止める治療が優先されます。
一方で、命の危険が落ち着けば、骨折の治療も重要になります。 国際的な専門家による研究報告でも、患者さんの状態が安定すれば、 大きな骨折の治療は入院後24時間以内に始めるべきだとされています。 早期の治療が、後の回復に良い影響を与えると考えられているためです。
多発外傷の治療
多発外傷の治療は、まさに時間との戦いです。 体のすべてのけがを同時に治すことはできません。 そのため、命に最も関わる部分から順番に治療を進めます。 この「治療の優先順位」を見極めることが、何よりも重要です。
ステップ1:命を守る初期治療
まず最初に行うのは、命の土台を立て直す「初期治療」です。 呼吸や血圧などを安定させるための、次のような処置を急ぎます。
- 空気の通り道の確保 意識がない場合など、息の通り道を確保するために 口から管を入れることがあります。
- 呼吸のサポート 肺のけがでうまく呼吸ができないときは、 人工呼吸器という機械で呼吸を助けます。
- 血液循環の安定 たくさん血が出ている場合は、点滴や輸血を行い、 血圧が下がりすぎないようにします。
ステップ2:出血を止める専門治療
初期治療と同時に、出血している場所を探して血を止めます。 特にお腹の中や骨盤からの出血は、外からは見えません。 しかし、命に関わるほど大量に出血することがあります。 そのため、緊急手術やカテーテルという細い管を使った 「血管内治療」で、急いで出血を止めにかかります。
ステップ3:骨折などの治療
命の危険が去り、呼吸や血圧が安定してきたら、骨折の治療に進みます。 以前は骨折の手術を後回しにすることもありました。 しかし、現在では専門家の考え方が進んでいます。 国際的な専門家たちによる研究報告でも、患者さんの状態が安定すれば、 大きな骨折の手術は入院後24時間以内に始めるべきだとされています。 早めに手術することが、後の回復に良い影響を与えるためです。
ステップ4:専門家チームによる「集学的治療」
多発外傷の治療には、さまざまな専門の医師が協力します。 救急科、脳神経外科、整形外科など、専門家がチームを組む 「集学的治療」が欠かせません。 例えば、胸の近くの関節のけがで、心臓や太い血管を 傷つけている可能性がある場合、心臓血管外科の医師が 万が一に備えることもあります。 ある研究では、特に多発外傷の患者さんにおいては、 このような専門家チームの連携が、安全な手術のために とても重要であることが示されています。