弛緩出血
出産という喜びの瞬間の直後、お母さんの体に起こりうる「弛緩出血」をご存知でしょうか。これは産後の大量出血の主な原因とされ、全産後出血の約70〜80%を占めます。命に関わることもあるため、決して軽視できない合併症の一つです。
すべてのお産の約5%で起こるといわれ、決して珍しいことではありません。原因は、赤ちゃんが生まれた後に子宮がうまく縮まないことにあります。双胎妊娠や子宮筋腫など、特定のリスク要因がある場合に起こりやすいとされていますが、誰にでも起こる可能性があります。
この記事では、なぜ弛緩出血が起こるのか、その原因や症状、そしていざという時の治療法について詳しく解説します。正しい知識を持つことが、万が一の際の冷静な対応と不安の軽減につながります。ご自身と大切な赤ちゃんのために、ぜひ最後までご覧ください。
弛緩出血の概要
弛緩出血(しかんしゅっけつ)とは、お産の直後に起こりうる合併症です。 出産後の大量出血(産後出血)の主な原因とされています。 統計では、産後出血の約70〜80%がこの弛緩出血によるものです。
通常、赤ちゃんが生まれると、子宮は筋肉の力で自然に縮みます。 この収縮が、胎盤(たいばん)が剥がれた場所の血管を圧迫します。 血管を強く押さえることで、出血が自然に止まる仕組みになっています。
しかし、何らかの理由で子宮の筋肉がうまく縮まらないことがあります。 この状態を「子宮弛緩症(しきゅうしかんしょう)」と呼びます。 子宮が緩んだままだと血管が開いたままになり、出血が続いてしまいます。
弛緩出血は、すべてのお産のうち約5%に起こるといわれています。 決して珍しいことではなく、誰にでも起こる可能性がある状態です。 特に、赤ちゃんが生まれてから2時間以内が最も起こりやすい時間帯です。
出血量が多くなると、お母さんの体に大きな負担がかかります。 輸血が必要になったり、命に関わることもあるため迅速な対応が重要です。 そのため、医療スタッフは産後の出血に細心の注意を払っています。
弛緩出血の種類
弛緩出血は、子宮の筋肉がどの範囲で弱くなるかによって分けられます。 主に2つの種類があり、どちらも迅速な対応が不可欠です。
お母さんの命を守るため、お産の現場では常にこの違いを意識しています。 子宮のどの部分が収縮していないのかを素早く見極めることが重要です。
全子宮弛緩症(ぜんしきゅうちかんしょう)
子宮の筋肉全体が、だらんと力なく緩んでしまう状態です。 赤ちゃんや胎盤が出た後、子宮は本来ギュッと固く縮みます。 しかし、このタイプでは子宮全体がうまく収縮できません。
- 特徴 子宮全体が均一に柔らかく、広範囲から出血が続きます。
- イメージ 風船の空気が抜けた後のように、子宮全体がふにゃふにゃになります。
部分性子宮弛緩症(ぶぶんせいしきゅうちかんしょう)
子宮全体ではなく、特定の一部分だけがうまく縮まらない状態です。 多くは、胎盤(たいばん)が剥がれた場所で起こります。
胎盤があった場所は、特に太い血管が集まっているため大変重要です。 子宮の他の部分は縮もうとしていても、この部分だけが緩んでしまいます。
- 特徴 胎盤があった場所から局所的に出血が続きます。
- イメージ 固く縮んだボールの一部だけが、へこんで柔らかい状態です。
弛緩出血の原因
弛緩出血は、出産後に子宮の筋肉がうまく縮まないことが原因です。 この状態を「子宮弛緩症(しきゅうしかんしょう)」と呼びます。
原因は一つだけではなく、お母さんの体の状態やお産の進み方など、 さまざまな要因が複雑に関係していると考えられています。 主な原因は、大きく3つのグループに分けられます。
1. 子宮の筋肉に大きな負担がかかった場合
子宮が通常よりも大きく伸ばされたり、長時間にわたり働き続けたりすると、 産後にギュッと縮むための力が弱くなってしまうことがあります。
- 子宮が伸びすぎた状態(過伸展) 双子や三つ子などの多胎妊娠、赤ちゃんが大きい(巨大児)、 羊水の量が多すぎる(羊水過多症)といったケースです。 子宮が大きく引き伸ばされると、産後に元に戻る力が弱まります。
- 長引くお産や急激なお産 陣痛が長時間続くと、子宮の筋肉も疲れてしまいます。 逆にお産の進みが早すぎても、子宮の収縮が追いつけず、 緩んだままになってしまうことがあります。
- 出産回数が多い(多産婦) 出産を何度も経験していると、子宮の筋肉が収縮しにくくなる傾向があります。
2. 子宮の収縮を妨げる要因がある場合
お母さん自身の体質や、もともと持っている病気などが、 子宮の収縮に影響を与えることがあります。
- 子宮の病気や異常 子宮筋腫や子宮腺筋症などがあると、子宮の筋肉が、 均等にしっかりと縮む動きを妨げることがあります。
- 胎盤の問題や感染症 胎盤の位置が低い(前置胎盤)、子宮内での感染(絨毛膜羊膜炎)なども、 子宮が正常に収縮するのを邪魔する要因になり得ます。
- その他の体の状態 高齢での出産や肥満、妊娠中の貧血、 血液が固まりにくい体質などもリスクを高める要因です。
3. お産の処置が影響する場合
安全なお産のために使われる医療的な処置が、 結果として子宮の収縮に影響を与えることがあります。
- 薬剤の影響 陣痛を促す薬や、逆にお腹の張りを抑える薬(子宮収縮抑制薬)、 一部の麻酔薬などが、子宮の筋肉の働きに影響を及ぼす可能性があります。
これらの原因が一つでもあると、必ず弛緩出血が起こるわけではありません。 しかし、複数の要因が重なるほど、そのリスクは高まると考えられています。 お産の現場では、これらのリスクを常に評価し、万が一の事態に備えています。
弛緩出血の症状
弛緩出血の最も重要なサインは、お産後の出血が止まらないことです。 赤ちゃんや胎盤が出た後も、子宮からの出血がサラサラと続きます。
通常のお産後の出血(悪露:おろ)とは明らかに異なるのが特徴です。 短い時間で500mL以上の出血に至ることもあり、注意深く観察します。
出血以外にも、お母さんの体に様々な変化が現れることがあります。 これらは危険なサインの可能性があるため、早期の発見が重要です。
【弛緩出血の主な症状チェックリスト】
- 出血の状態
- 分娩後、鮮やかな赤い色の血液が、持続的に出続けます。
- お腹(子宮底)を圧迫すると、血や血の塊が出ることがあります。
- お腹の状態
- お腹を触ると、子宮が柔らかくフニャフニャしています。
- 本来、産後の子宮は筋肉が収縮し、硬く触れるのが正常です。
- 子宮の位置が、通常よりも高い位置(おへその近く)に感じられます。
- これは、緩んだ子宮の中に血液が溜まることで起こります。
- 全身の状態(出血量が増えた場合)
- 脈が速くなる(頻脈)
- 失われた血液を補うため、心臓がたくさん働こうとします。
- 血圧が下がる
- 体内を巡る血液の量が減ることで、血圧が維持できなくなります。
- 顔色が悪くなる、冷たい汗をかく
- 命に関わる臓器に血液を集中させる体の防御反応です。
- 強い不安を感じたり、意識がもうろうとしたりする
- 脳への血流が減っている可能性を示す、非常に危険なサインです。
出血が1,000mLを超えると体に大きな負担がかかり始めます。 さらに出血が続くと「出血性ショック」という命に関わる状態に陥るため、 産後の現場では、常にこれらのサインに細心の注意を払っています。
弛緩出血の検査・診断
弛緩出血の診断は、一刻を争う時間との勝負です。 お母さんの命と安全を最優先に考え、医師や助産師は、 五感と検査機器を使い、迅速かつ正確に状態を把握します。
診断の第一歩は、お腹を直接触って子宮の状態を確認することです。 正常な産後の子宮は、硬いボールのようにギュッと縮んでいます。 しかし弛緩出血の場合、子宮が柔らかくフニャフニャに感じられます。
同時に、出血の量や性状も注意深く観察し、診断を進めます。 出血パッドの重さをこまめに測るなどして、出血量を正確に把握します。 この時、出血が子宮以外から起きていないかも確認します。
診察と並行して、体の内部の状態を調べる検査も行います。 これらの検査は、出血が体に与える影響の大きさを知るためです。 また、他の出血原因がないかを確認するためにも欠かせません。
- バイタルサインの測定 血圧、脈拍、呼吸数などを測ります。 出血が多いと体は血液を補おうとして脈が速くなり、 やがて血圧が下がります。体の危険信号を捉える検査です。
- 血液検査 貧血の程度(ヘモグロビン値)を調べます。 また、血液を固める機能に異常がないかも確認します。 輸血が必要になる場合に備え、血液型も再確認します。
- 超音波(エコー)検査 お腹の上から超音波をあて、子宮の内部を映像で確認します。 胎盤の一部や血の塊が子宮内に残っていると、 それが原因で子宮がうまく縮めないことがあるためです。
- 内診・腟鏡診(ちつきょうしん) 腟鏡という器具を使い、腟や子宮の入り口を直接観察します。 子宮以外の場所(産道など)に傷ができていないかを確かめ、 出血の原因を正確に特定します。
これらの診察や検査の結果を、総合的に判断します。 出血量が基準(500mL以上など)を超え、原因が子宮の収縮不全であり、 産道の傷など他の原因がない場合に、弛緩出血と診断されます。
弛緩出血の治療
弛緩出血の治療は、お母さんの命を守るための時間との勝負です。 治療の目標はただ一つ、緩んでしまった子宮をしっかりと収縮させ、 一刻も早く出血を止めることです。
治療は、出血の量やお母さんの体の状態に合わせて段階的に行います。 まずは基本的な処置から始め、効果を見ながら治療を強化します。 現場では、複数のスタッフが連携し、迅速な判断を下していきます。
ステップ1:基本的な止血処置
分娩後、出血が多いと判断された場合に、まず行われる処置です。 子宮の収縮を直接的に促すことを目的とします。
- 子宮底マッサージ お腹の上から子宮のてっぺん(子宮底)を直接、力強くマッサージします。 この物理的な刺激によって、子宮の筋肉の収縮を促します。
- 子宮収縮薬の投与 子宮が縮む働きを助ける「子宮収縮薬」という薬を、 点滴を通して速やかに投与します。
- 子宮内の確認 子宮の中に胎盤の一部や血の塊が残っていないかを確認します。 異物が残っていると、それが障害となり子宮がうまく縮めません。
- 膀胱の確認と処置 子宮の前にある膀胱に尿が溜まっていると、子宮の収縮を妨げます。 そのため、管(カテーテル)を入れて尿を排出させることがあります。
ステップ2:出血が続く場合の追加処置
基本的な処置で出血が十分にコントロールできない場合は、 より直接的で強力な止血処置へと移行します。
- 子宮双手圧迫法(しきゅうそうしゅあっぱくほう) 医師が片方の手を腟から子宮に入れ、もう片方の手でお腹の上から、 子宮を直接挟み込むように強く圧迫して止血する方法です。
- 子宮内バルーンタンポナーデ 子宮の中に風船(バルーン)のついた器具を挿入します。 子宮内でバルーンを膨らませ、内側から出血している場所を圧迫します。
- 輸液・輸血 失われた血液量に応じて、点滴による水分補給や輸血を行います。 体内の血液量を維持し、ショック状態に陥るのを防ぎます。
ステップ3:最終的な救命処置
これらの治療でも出血が止まらない、非常に危険な状況では、 お母さんの命を救うことを最優先に、さらに高度な治療を検討します。
- 動脈塞栓術(どうみゃくそくせんじゅつ) 足の付け根の血管からカテーテルという細い管を通します。 出血している子宮の血管まで進め、特殊な物質で血管を詰めて止血します。
- 手術による止血 お腹を開けて出血している血管を直接縛る手術や、 子宮を縫い縮める手術を行うことがあります。 あらゆる手段を尽くしても止血が困難な場合は、 最終手段として子宮を摘出する手術が必要になることもあります。










