転んで手をついた瞬間、肘に走る激しい痛みと、腕が奇妙な形に変形してしまう感覚。肘関節脱臼は、スポーツや日常生活のふとしたアクシデントで、誰の身にも起こりうる身近なケガです。その多くは腕が後ろにずれる「後方脱臼」ですが、決して自己判断で治そうとしてはいけません。
中には骨折を伴う「Terrible Triad Injury(ひどい三徴候)」と呼ばれる重症例や、小さなお子さんの手を引いただけで起こる「肘内障」など、その種類は多岐にわたります。無理に戻そうとすれば、神経や血管を傷つける二次被害の危険性さえあるのです。
かつて主流だった長期間のギプス固定という常識は、今や変わりつつあります。この記事では、肘関節脱臼の様々な原因から正しい対処法、そして「早期機能訓練」を重視する最新の治療アプローチまでを詳しく解説します。
肘関節脱臼の概要
肘関節脱臼とは、肘の関節が本来の位置からずれてしまうケガのことです。 私たちの肘は、以下の3つの骨がうまく組み合わさってできています。
これらの骨の連結部分が完全に外れることを「脱臼」と呼びます。 一方、完全には外れず、少しだけずれた状態は「亜脱臼(あだっきゅう)」です。
治療では、まず骨を元の位置に戻す「整復」という処置を行います。 その後はギプスで固定しますが、最近の治療法は少し進歩しています。
以前は長期間ギプスで固定することが一般的でした。 しかし、多くの研究から、できるだけ早く動かし始める方が良いとわかっています。 この「早期機能訓練」を行う保存的治療が、現在の第一選択です。 ただし、靭帯の損傷がひどく関節が不安定な場合は例外です。 再発を防ぐため、手術による治療が検討されることもあります。
肘関節脱臼の種類
肘関節脱臼は、骨がずれる方向によっていくつかの種類に分けられます。 また、骨折を伴うかどうかでも、重症度が大きく変わります。
ずれる方向による分類
脱臼は、前腕の骨(橈骨と尺骨)が上腕骨に対してどちらにずれたかで分類します。
- 転んで手をついた時などに起こり、最も多いタイプの脱臼です。
- 肘が本来曲がる方向とは逆側に反ってしまったような状態になります。
- 骨が前や横にずれるもので、後方脱臼に比べて頻度は少ないです。
骨折を伴う複雑な脱臼
脱臼だけでなく、骨折も同時に起こしてしまうと、治療が難しくなります。 特に注意が必要なのは、「Terrible Triad Injury(ひどい三徴候)」です。 これは、以下の3つのケガが同時に起こった重症な状態で、手術が必要になることが多いです。
- 肘関節の後方脱臼
- 尺骨(しゃっこつ)の鉤状突起(こうじょうとっき)という部分の骨折
- 橈骨(とうこつ)の肘側の先端部分(橈骨頭)の骨折
このケガが重症なのは、骨だけでなく関節を支える靭帯も損傷するためです。 靭帯は骨と骨とをつなぐ丈夫なスジのことで、これが切れると関節が非常に不安定になります。 そのため、骨を元の位置に戻すだけでなく、靭帯を修復する手術も必要になることがあります。 このように、脱臼といっても単純なものから複雑なものまで様々です。 自己判断で治そうとせず、必ず専門の医療機関を受診してください。
肘関節脱臼の原因
肘関節脱臼は、年齢によって起こりやすい原因が異なります。 日常生活のふとした動作から、スポーツ中のケガまで様々です。
成人の場合
成人の肘関節脱臼で最も多いのは、転倒が原因となるケースです。 肘を伸ばしたまま地面に手をついた時に、発生しやすくなります。 体重が一気に肘にかかり、関節が限界を超えてしまうためです。
ラグビーや柔道といった人と接触するスポーツでの衝突も原因です。 また、交通事故や高い場所からの転落で強い力が加わることもあります。
子どもの場合
2歳から4歳ごろのお子さんでは、「肘内障(ちゅうないしょう)」に注意が必要です。 これは、肘の関節が少しだけずれてしまう「亜脱臼」の一種です。 大人が子どもの手を急に強く引っ張った時に起こることが多いです。
この時期の子どもは、骨や関節を支える靭帯がまだ未熟です。 そのため、大人が思っているよりも弱い力で関節がずれてしまいます。
新生児の場合
非常にまれですが、生まれてくる際の力が原因で脱臼が起こります。 これを「産科的外傷(さんかてきがいしょう)」と呼びます。 この時期に特に注意したいのは、脱臼と骨折の見間違いです。
新生児の骨はまだ軟らかく、レントゲンに写りにくい部分があります。 そのため、脱臼のように見えても、実は骨折していることがあります。 特に「遠位上腕骨骨端線骨折」という骨折は、脱臼と誤診されやすいです。
正確な診断のため、超音波(エコー)検査などを行うこともあります。 このように、肘関節のトラブルは年齢によって特徴が大きく異なります。
肘関節脱臼の症状
肘関節を脱臼すると、いくつかの特徴的なサインがあらわれます。 ケガをした直後から、はっきりと「いつもと違う」と感じることが多いです。 どのような症状が出るのか、具体的に見ていきましょう。
肘関節脱臼でみられる主な症状は、以下のとおりです。
- 骨がずれることで、関節を支える靭帯や組織が傷つくため、強い痛みを感じます。時間とともに肘の周りがパンパンに腫れてきます。
- 腕が健康な方と比べて短くなったように見えたり、肘の形がおかしくなったりします。肘の裏側にある骨(肘頭)が出っ張って見えることも特徴です。
- 肘が少し曲がった状態(約30〜40度)で固まってしまい、自分の力では伸ばしたり曲げたりできません。無理に動かそうとすると、激しい痛みが走ります。
- ずれた骨が、近くを通っている大切な神経を圧迫することがあります。その結果、手や指がしびれたり、感覚が鈍くなったりします。
お子さまの場合、「肘内障(ちゅうないしょう)」という特殊な亜脱臼が起こりやすく、症状の出方が異なります。大人の脱臼とは違い、見た目の腫れや変形はほとんどありません。急に泣き出して、痛い方の腕をだらんと下げたまま動かさなくなるのが特徴です。
ほとんどは転倒などのケガが原因ですが、ごくまれに生まれつき関節が外れやすい体質の方もいます。例えば、「Larsen(ラーセン)症候群」は、FLNB遺伝子の変化に関係する病気です。この病気では、肘だけでなく全身の関節が脱臼しやすいという特徴が見られることがあります。
肘関節脱臼の検査・診断
肘のケガで病院に行くと、まずはお医者さんが詳しくお話を聞きます。 いつ、どこで、どのようにケガをしたのかを教えてください。 ご自身でうまく話せないお子さんの場合は、保護者の方からの情報がとても重要になります。
その後、肘の中の状態を正確に知るために、写真をとる検査を行います。 これらを「画像検査」と呼び、主に3つの種類があります。
- X線(レントゲン)検査 骨の状態を見るための、基本となる検査です。 骨がどの方向にずれているか、骨折がないかを調べます。 詳しく見るため、腕の角度を変えながら何枚か撮影します。
- CT検査 レントゲンだけでは分かりにくい、複雑な骨折を調べる検査です。 体を輪切りにしたような詳しい画像で、骨の状態を立体的に確認します。
- MRI検査・超音波(エコー)検査 骨だけでなく、骨と骨をつなぐ丈夫なスジ(靭帯)などを見ます。 靭帯や筋肉といった、軟らかい組織の損傷が疑われる時に行います。
特に、生まれたばかりの赤ちゃんの診断は、より慎重さが求められます。 赤ちゃんの骨はまだ軟らかく、レントゲンに写らない部分があるためです。 そのため、脱臼に見えても、実は骨折していることがあります。 この間違いやすい骨折は、生まれてくる時の力が原因で起こることもあります。 正確な診断のために、超音波検査やMRI検査を行うことが推奨されています。
肘関節脱臼の治療
もし肘を脱臼してしまったら、慌てて自分で元に戻そうとしてはいけません。 骨の周りには、大切な血管や神経が複雑に通っています。 無理に動かすと、これらを傷つけてしまう危険があるためです。 まずは三角巾などで腕を固定し、できるだけ早く病院を受診しましょう。
治療の基本は、ずれた骨を正しい位置に戻す「整復(せいふく)」です。 痛みを伴う処置のため、痛み止めや麻酔を使ってから慎重に行います。 治療法は、手術をしない「保存的治療」が第一の選択肢となります。
1.保存的治療(手術をしない方法)
骨折などを伴わない単純な脱臼では、こちらの方法が中心です。
- 医師が手を使って、脱臼した関節を元の位置に戻します。
- 整復が終わったら、ギプスやシーネなどで肘を固定して安静にします。
- 以前は長く固定するのが一般的でした。
- しかし最近の研究では、早くから肘を動かす方が良いとわかっています。
- この「早期機能訓練」が、関節の動きを良くし回復を早めます。
2.手術療法
次のような場合には、手術が必要になることがあります。
- 徒手整復術で骨を元の位置に戻せない
- 骨折を伴っている
- 靭帯の損傷がひどく、関節が不安定な状態
特に、関節を支える靭帯がひどく傷つくと、肘がぐらぐらします。 この状態では再び脱臼しやすいため、再発を防ぐ手術が検討されます。 どの治療法を選ぶかは、損傷の程度によって変わります。 まずは専門の医師に相談し、ご自身の状態に合った治療を受けましょう。